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全 国 有 志 大 連 合 趣 意 書

 

 全国有志大連合(略称=全有連)は、昭和五十六年8月9日、維新勢力の結集を意図して岡山県湯原温泉に會同した一都一道二府三九県の地域代表により結成された、我国初の全国的規模における超党派的な草莽有志の集団である。全有連の性格的特徴は之を要約すれば、体制の枠内において国家の復権を図ろうとする愛国運動の域を超えて、体制其者の克服を目指す維新勢力の集結に眼目を置いたことと、第二に国民主権の概念に立つ現行憲法の改正、乃至自主憲法の制定を期する改憲派と異なり、明治憲法の復元・改正を意図する復憲派であることと、第三に所謂中央(権力)を対象とする政治闘争に重点を置かず、地方自治体の住民を対象とする啓蒙・連帯運動を積重ね、それによって実現された地方政治力を集結して、中央突破の戦力とする戦略を取ったことなどである。

 

全有連はこれらの方針に即して改憲(復元改正)、国防(民間防衛)、教育(偏向教育)等の四項目に関する綱領を定めたが、改憲、国防、教育の三項目に関する運動も基本的には、それぞれの居住地を中心に遂行される地方運動であり、即ち地域住民の自覚を促す自治運動の一環に外ならぬ。

 

 全有連は維新陣営の拡大を意図するものであり、究極的には「維新運動の原点に立返って現代幕府勢力=ヤルタ・ポツダム体制の克服を目標とする」有志の連合体であることは、その宣言に言ふ通りである。それにも関わらず、全有連が中央を措いて地方に主力を注ぐのは、勿論一つの戦略である。ヤルタ・ポツダム体制(現代幕府勢力)とは占領軍が日本に設定し日本に残した、日本植民地化の体制に外ならず、中央とはかかるものとしての体制の主柱をなす権力者の根拠地であることを思へば、その理由は自ら明らかであろう。古来中央の権力を窺ふものは必ず遠く都を離れて地方に勢力の基盤を培った。昭和の初頭より今日に至るまで凡ての国家革新運動が中途に挫折した最大の原因は、この重大な教訓を忘れた所に在った。 ❘ この意味において、意味少なくとも全国四十三都道府県の戦友が「地方復権から中央撃破へ」と言ふ共通の戦略をもって連帯したことは、一つの画期的事件であろう。

 

 戦後六十数年、地方自治体の実状は中央権力(政党)の支配化に在るが、その因って来る原因は本来各地方自治体の長となるべき主柱的人物が、政争を忌避して野に潜み、それがため地方政治が多年二流以下の人物に委せられる結果となったことに在る。いま若し全国各地の同志が心を合わせ、一斉に起こって自ら郷土再建のために力を注ぐと共に、全有連と結んで全国市町村の有縁の友に連帯の輪を拡げるといふ戦術を遂行するならば、日本の状況は恐らく十年ならずして刮目すべき変化を遂げるであろう。

 

 全国四十七都道府県と三千有余の市町村において、現在首長なり議長の職に在る者で、まことの意味における選良と伝へるやうな者は極めて少ない。若し公職選挙の候補者に試験を課する制度があれば、八〇%以上は落第すると思はれる人物である。このことは反面において、真に首長となり議長となるには相応はしい人物の多くが、現体制の外に立ってゐることを物語る。それらの中には所謂金と力が無いために日の目を見ることの出来ぬ人もあろうが、大部分は独自の識見をもって政争の外に立つ体制の批判者である。而もこれらの人達の圧倒的多数が現に我々の運動を理解する有志であり、或いは連帯の可能性をもつ潜在的与党であることも、又過去二十余年に亘る同志の調査によって確かめられるのである。此処に全有連は今日と雖も決して一握りの有志集団ではない。

 

 この事実は一見回復すべからざるほどに荒廃した日本の社会と精神的風土にも、なお再生の可能性が残されてゐることは示唆する事実であり、延いては国家其者の変革、再建も之を合法的に遂行し得る可能性が残されてゐることを示す事実でもある。全有連は之が結成の日を見るまでに前後二十余年の準備を要したのであるが、この歳月は決して単なる試行錯誤の繰り返しに費やしたのではなく、その大部分は同志と共に「流血の惨なき維新」の方途を把握せんが為に費やされた。而も、我々をして遂に其の確信に至らしめたものは、実に全国に亘るこのやうな潜在的同志の確認であった。全有連の地方運動が本格的な軌道に乗るまでには、尚一、二年を要するであろうが、その時はこれらの潜在的同志が顕在的有志として、漸次我々の前に現れる時でもある。

 

 いかなる自治体も必ず理想の中心人物が居ると云ふことは出来ぬ。然し、問題を市町村自治体に限って見るとき、如何なる地域でも実際に当該自治体を動かしてゐる人物は極めて少数で、町村ならば五人内外、市でも大抵十人か二十人であろう。現在はその少数者に「選良」が少ないから政治が乱れてゐるのである。これを取替へて選良を揃へれば、それだけでも其の市町村は変わって行く。さう云う自治体を作るには、先ず政治的野心を全く持たない少数の識者・同士が中心となって、地域住民のために対話の場としての有権者協議会か開放的な無償の私塾を作り、そこで啓発された住民とか、そこで推薦された有為の人材を政治の場へ送るといふ方法を取るのがよい。政治的野心を持たぬ信望者がリーダーシップを取れば、必ず実現出来ることである。現にさふいう方法で、塾と首長と議長、それに教育委員会や公民館長までが一体となって、談笑の中に町をより良くするための会を二十余年続けてゐる所がある。其外、地域の農民を挙げて薬漬け農法から自然農法への全面的転向を実現した町、町内の屎尿、畜糞、残飯、塵芥其他一切の廃棄物を完全な飼育料にして再利用してゐる町、凡そ百家族の子弟に対して定期的に下校後、課外授業を行ひ、空手と農業の実習を指導してゐる所など、町づくりのモデルケースは決して少なくない。而もこれらの中心となり、指導者となってゐる人は凡て全有連の会員または準会員である。

 

 全有連に有力な拠点が出来れば、以上のやうなモデルケースの全部を一時自治体に一括総合して実現することも不可能ではあるまい。若しそのやうな拠点とそれを推進力とする自治共同体を一府県に十ヶ所も作ることが出来たら、府県其者を照らす光明ともなる。必ずしも全国三千有余の市町村の大半と云はず、たとへ数百体でもよい。そこに我々が理念するやうな自治共同体を再建することが出来たら、それは必ず千里漆黒の闇を破る光明となって日本全土を照らすに違ひない。その時になれば万民の帰趨もおのずから定まって行くと我々は確信する。

 

 政治的主張の正当性は実践によってのみ証明される。我々がもつ祖国復権の論理と政策の正当性を証明すべき実践の場は「地方」の外になく、それを確認せしむべき具体的対象は、「共闘する地域住民」の外にない。地方復権に関する我々の論理と政策がそれぞれの地域において大衆の首肯する所となれば、それによって、維新は決して反動を意味せず、変革は決して破壊ではないと云ふことも、自ら国民に周知せられるのである。この意味において地方運動とは、我々が神と民衆の前に試されることでもある。

 

 我々はいま自らに課した任務の重さに比して自らの持つ力の余りに小さいこと知ってゐる。それにも関はらず敢えてこのやうな任務を自らに課したのは、已むに已まれぬ心情であると云う外はない。いかなる特定の階級乃至団体の利益も代表せず、只見えざる国家と国民の利益のために立った全有連は、それが為に所謂ゼロからの出発を余議なくされたが、爾来三十一年、これがために全有連の基礎が揺るがされるといふことは未だ曽てなく、前進が阻まれたこともない。而もそれの前進を保障したものはしばしば意外のとき意外の所に出現する隠れたる同志の協力であった。我々はそれを時に応じ機に臨み姿を変じて現前する観世菩薩の化身とも思ひ、冥々の加護を拝謝するのである。

 

 いま信友に托するこの一片の趣意書が、何らかの形で貴下と我々を結ぶ道縁のよすがとなれば、我々にとって何よりの喜びである。

 

                                     全国有志大連合事務局

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