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2月22日 竹島の日

2月22日は島根県が県条例として定めた「竹島の日」です。

 

竹島は古来より日本固有の領土でありますが、韓国政府により、実に50年以上もの間、不当に武力占拠され続けております。

 

竹島は古来より日本固有の領土であります。歴史文献によれば、安土桃山時代の地図にも記されており、当時は松島と呼ばれていました。かの豊臣秀吉が朝鮮出兵の際、竹島に立ち寄ったとされ、朝鮮に対し、日本の領土であると主張したとの記述があるほど深い歴史を持ち、1905年には、竹島と命名され、島根県隠岐島の官有地台帳に登録されました。

 

1945年、ポツダム宣言受諾により大東亜戦争が終結、GHQの指令によって、日本の行政権範囲から竹島を除外、さらにマッカーサーラインによって日本の船舶及び乗組員に対し竹島への十二海里以内への接近を禁じた。

 

しかし、1949年、サンフランシスコ講和条約第6次草案によって、竹島は日本の保持すべき領土に加えられ、1951年9月8日、日本がサンフランシスコ講和条約に調印。この時点で、竹島は再び日本の領土と認められ、1952年4月のサンフランシスコ講和条約発効を待つばかりでありました。

 

ところが、大韓民国初代大統領、李承晩は、講和条約発効の約三ヵ月前に突如「平和線」と称する、竹島を韓国領土側に含んだ「李承晩ライン」を一方的に宣言し、線内海域に出漁した日本漁船を拿捕するよう指示した。

 

その結果、日本の第1大邦丸が拿捕され、漁労長が射殺される痛ましい事件も起こりました。日本側は日韓国交正常化交渉の中でも再三にわたり強く抗議したが、韓国側は聞き入れなかった。

 

その後も日本漁船の強制拿捕、日本海上保安庁船舶に対する発砲、領土標識の設置、海岸警備隊の派遣、無人塔台を点灯、武力占拠の決定と、次々に竹島を不当に占拠し、実力支配を着々と強化しました。

 

日本政府は韓国に対し、国際司法裁判所への提訴を提議したが、国際法上、竹島は日本の領土と認められている為、敗訴すると予測した韓国政府は、日本政府に対し、提議を拒否したのであります。

 

1965年6月22日、日韓基本条約が終結され、両国の国交が樹立、同時に日韓漁業協定が調印され、李承晩ラインが消滅しました。同ライン宣言後、拿捕された漁船は328隻、抑留された船員が3929人、死傷者は44人に達し、損害額は当時の金額で90億円を超えたと報告されています。

 

しかし、李承晩ラインが消滅した現在もなお、韓国は不当占拠を続け、竹島は韓国固有の領土だと主張しております。

さらに、竹島を独島と名付け、学校教育においても韓国の領土だと教え、インターネット上では、独島として地形や地質、水域状況などを詳しく紹介するなど、既成事実化をはかっています。

 

このような韓国政府の横暴を決して許してはいけません。

 

歴史的にも、国際法上においても日本固有の領土である竹島を一日も早く韓国より奪還する為には、日本の国民意識を高め、声高らかに訴え続けなくてはいけません。

 

2月22日は竹島の日として、我々の多くの有志・同胞が全国で竹島早期奪還を目指し、活動を致しております。

 

良識ある国民の皆さん。我々と共に、全国の国民が一丸となって、領土問題早期解決、竹島早期奪還を実現しようではありませんか。

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